Always-Be-Natural blog

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教育とは

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ずいぶんと大それたタイトルをつけましたが、

持論をメモしておきたくなったので書きます。

 

それは、

 

「全力で、待って、見守って、尻拭いしてやる行為」

 

だと思うんです。

 

それを、

 

「失敗しないように先に教えてやる行為」

 

と考えるとお互いにキツイ。

 

「押しつけ」が始まる、「やらされてる」が始まる。

「お前の為を思って」と「なんでこんな事やらされてんだ」の対立。

 

本当に人の話を聞くときは、困っているとき。

だから困るような場面と出会うまで見守ってやる。

 

子どもの失敗にも、周りは寛容ではない。

原因を突き止めようとして、

 

「被教育者の失敗」=「監督者の失敗」

 

みたいになってるのがおかしい。

こんな等式があるから、

先生だったり、親だったりは、子どものためと思いながら、

実は自分のメンツのために頑張ってる。

そんな風潮だから、放っておいてやれるほどの余裕がない。

 

自分が責められないように、

自分のせいで周りに迷惑かけないように、

育ててる。

 

尻拭いしてやるだけの余裕も現場にはない。

失敗をカバーするのは、精神的にも、物理的にも大変。

無難に上手く行かせたほうが「楽」だ。

 

誰のための教育なのか。

 

子どものトラブルは、

必ずしも周りのせいじゃない。

もともと持ってる性質がある。

その子が学びのために体験したかったことがある。

 

教育者は、「失敗させないこと」が果たして最優先事項なのか。

 

誰のための教育なのか。

自分のため?社会のため?子どものため?