自分はそんなに悪くないもの
コンプレックスをなかなか克服できない。
そんな自分は駄目か?
例えば、腕が細い。
じゃあ筋トレでもすれば?
…続かない。
→ああ、自分は意志薄弱のダメなやつ。
…本当にそうか?
そもそも、お前は、筋トレには興味がない。
興味がなければ時間も体力も金も、注ぎ込まない。
興味の「ある・ない」は、自分を形作る大切なこと。今回のあなたには「ない」のである。
自分はコンプレックスと考えてるが、実は今回の人生は、どうやらそのコース(腕が細い、貧弱な体)でどう幸せになるかを模索しに来ているらしい。
続かないものは、所詮続かない。
興味があるものは、放っておいても気になってしまう。そしてアクションを起こす。
だから天才も、凡人も、何も変わらない。
天才は別に偉くないし、凡人は別に怠惰ではない。
全ては、興味があるかどうか。
コンプレックスなんて、本当ムダ。だって結局自分はそれに興味ないんだから。手放すのはなかなか難しいけど、ね。
お金=エネルギー??
それなら、なぜお金持ちなはずのに、
自ら命を絶つ人がいるんだろうか。
お金の持つ、もう一つの側面がある。
それは、お金=約束。
お金を出すことで、相手に約束させる。
「お金をあげたんだから、裏切ったら許さないよ?」
まるで、体から離れないノロイ、である。
これは、タチが悪い。
その約束によって、拘束され身動きが取れなくなり、魂は自由を渇望する。そうやって、やがて自分を殺すという選択肢が頭をよぎるのだろう。
お金は、きっと、その人の想いを忠実に伝える道具なんだろう。
それは、感謝にもなるし、呪いにもなる。
前者は、「利他的」なお金。後者は「利己的」なお金。
見た目は同じ「お金」でも
相手を操ろうとするお金ではなく、
相手を活かそうとするお金を、
相手に渡し、そして相手から受け取りたいものである。
捨てるじゃなくて「手放す」
そんなもの、捨てなさい!
もう、使わないなら捨てるよ?
「捨てる」は酷な響きだ。
殺伐とした、冷たい感じがする。
それよりも、「手放す」を使いたいと思う。
「捨てる」はその価値を無視し、見放すこと。
「手放す」は、手元から離すこと。手を放して自由にしてやること。
ゴミは、燃やされ、処理され、新たな価値になる。
「捨てる」は似合わない。
ところで、
万物は循環し、またやって来る。
海洋ゴミなど、まさにそれ。
自分たちが海に投げたプラスチックが食べものを通して、わたしたちの体に戻ってくる。
一週間もしたら、私たちはクレジットカード一枚分のプラスチックを食べているという。
魚介類を食べなければいいなんて、単純なことではないだろう。海洋汚染は陸地汚染につながり、私たちが自然からエネルギーを摂取する限り、汚染の影響は免れない。
島暮らしも2年目。もう少し暖かくなったら、カヤックフィッシングのついでに海のゴミ拾いをしようと思う。
単なる自己満足だ、それでも何もしないよりも、自分が満足できて、いいと思う。
暑すぎず寒すぎず、キャンプにはもってこいな季節。
お金=エネルギー
ご無沙汰でした。
最近の小豆島。
三寒四温ですが、段々と暖かくなって来ました。
小豆島は風がよく吹きます。
家族も増えました。
お金は、エネルギーなのかなと思います。だからお金が欲しければ、だれかにエネルギーを渡せばそのお返しがやって来る。
どのようにエネルギーを渡すのか?
人を勇気づけたり励ましたりする
人にお金を渡す、つまり何かを買う
人の代わりに仕事をする
人を感動させる
人に癒やしを与える
人を安心させる
つまり、人の役に立つ
そこを私たちはよく見失ってしまう。
いかに多く、効率的に、楽して稼ぐか
そんなことばかり、気になってしまう。
でも本質は、チガウ。
どれだけ人にエネルギーを与えたか、なのだ。
既存のお金の貰い方にこだわる必要はない。たとえ既存の枠の中にいたって、新しい工夫はできる。(新しい枠組みを作るのは、お金も労力も時間も要ることですし)
エネルギーを渡すのが上手な人が、やはり受け取り上手なのだろうな。
そんな人になろうと思う、コロナ禍の今日このごろです。
おみくじの結果は…
今日は仕事初めでございました。
また気持ちを新たに頑張ります。
こんなコロナ禍なのに、足を運んで下さったり、お電話して下さったり。
本当に、有り難い限りです。
さて、お昼に食べた菓子パンにおみくじがついておりまして、めくってみると…
末吉。
以前の自分
大吉を期待したけど、末吉かぁ。あんまりついてなさそう…まぁいいや。
そういうつまらない思考回路はもうやめることにする。
改めまして…
こんなにツイてるのに、末吉なの!?大吉はどんだけいいんだろ!!ドキドキ、ワクワク。
こう考えると幸せです。
「無理してんじゃないの?」
当たり前です。筋トレだって、多少は無理して鍛えて体を大きくするんでしょ?それと一緒です。
私は、思考のトレーニング中なのです。
こういう思考を日頃習慣にできる人は、周波数が違ってくるんです。
それを、私は一生かけて証明してみたいのです。
では、また。
働かざる者食うべからず??
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願い致します。
今年も幸せに過ごせるように、
「幸せの周波数」に乗って参りたいと思います。
それは社会常識にとらわれていては決して掴めない波。
それは他人の言う事に従っていたら見逃してしまう波。
この波に乗り続けるのは、結構難しい。だって常識的じゃないし、周りのみんなは意識してないから。
だからブレずに、迷わず邁進していこうと思う。
これが私の2021年の抱負。
さて、新年は「働かざる者食うべからず」という言葉の新解釈から始めようと思います。
常識的な意味は、
自分はこんなに一生懸命働いてるから飯が食える。だから一生懸命働かない奴は食いっぱぐれる。
たいがい、これを言う人は、汗をかく努力をしない人を蔑むために使うのでしょうか。
でも、本当にそうでしょうか。
私が思うに、
「働いたあとは、ご飯が美味しい。だから働かないなら、ご飯は美味しくない。ゆえに働いてから食べた方がご飯は美味しくなるし、消化にも良い。」
この意味に尽きると思います。
「お前は働いてないから食う資格はない。」
そんな冷たい言葉は、もう使うの止めよう。
働いてない人だって、ご飯食べていい。それで元気になって、また人の役に立てばいい。
それに、
働いたあとに達成感や爽快感が無ければ駄目だと思う。
逃避ではなく、明日やってくる仕事を楽しみに晩酌ができなければ駄目だと思う。
働かざる者食うべからず
色んなことを考えさせてくれる言葉です。
さぁ仕事じゃ!