Always-Be-Natural blog

自分の好きなもの、自分らしい生き方、naturalな自分をもっと。

お金=エネルギー??

それなら、なぜお金持ちなはずのに、

 

自ら命を絶つ人がいるんだろうか。

 

お金の持つ、もう一つの側面がある。

 

それは、お金=約束。

 

お金を出すことで、相手に約束させる。

 

「お金をあげたんだから、裏切ったら許さないよ?」

 

まるで、体から離れないノロイ、である。

 

これは、タチが悪い。

 

その約束によって、拘束され身動きが取れなくなり、魂は自由を渇望する。そうやって、やがて自分を殺すという選択肢が頭をよぎるのだろう。

 

お金は、きっと、その人の想いを忠実に伝える道具なんだろう。

 

それは、感謝にもなるし、呪いにもなる。

 

前者は、「利他的」なお金。後者は「利己的」なお金。

 

 

見た目は同じ「お金」でも

 

相手を操ろうとするお金ではなく、

相手を活かそうとするお金を、

 

相手に渡し、そして相手から受け取りたいものである。


f:id:natuyo24:20210415225055j:image

捨てるじゃなくて「手放す」

そんなもの、捨てなさい!

もう、使わないなら捨てるよ?

 

「捨てる」は酷な響きだ。

殺伐とした、冷たい感じがする。

 

それよりも、「手放す」を使いたいと思う。

 

「捨てる」はその価値を無視し、見放すこと。

 

「手放す」は、手元から離すこと。手を放して自由にしてやること。

 

ゴミは、燃やされ、処理され、新たな価値になる。

 

「捨てる」は似合わない。

 

ところで、

万物は循環し、またやって来る。

海洋ゴミなど、まさにそれ。

自分たちが海に投げたプラスチックが食べものを通して、わたしたちの体に戻ってくる。

 

一週間もしたら、私たちはクレジットカード一枚分のプラスチックを食べているという。

 

魚介類を食べなければいいなんて、単純なことではないだろう。海洋汚染は陸地汚染につながり、私たちが自然からエネルギーを摂取する限り、汚染の影響は免れない。

 

島暮らしも2年目。もう少し暖かくなったら、カヤックフィッシングのついでに海のゴミ拾いをしようと思う。

 

単なる自己満足だ、それでも何もしないよりも、自分が満足できて、いいと思う。


f:id:natuyo24:20210327161958j:image

暑すぎず寒すぎず、キャンプにはもってこいな季節。

一番の栄養

それはいくら高額なサプリを飲んでも

高級な食材を揃えても手に入らない。

 

それは、

人とのつながり

である。

 

人と語り合い、笑い合い、つながりを感じる。

 

このことが私たちにすごい量のエネルギーをもたらす。

 

小豆島は今日も穏やかです。


f:id:natuyo24:20210327095031j:image

 

友だちが地元から遊びに来たので、オリーブ牛を振る舞いました。牛さん、ありがとう🐮


f:id:natuyo24:20210327095137j:image

 

お金=エネルギー

ご無沙汰でした。

 

最近の小豆島。

f:id:natuyo24:20210206104520j:image

三寒四温ですが、段々と暖かくなって来ました。

小豆島は風がよく吹きます。

 

家族も増えました。

f:id:natuyo24:20210206104546j:image

 

お金は、エネルギーなのかなと思います。だからお金が欲しければ、だれかにエネルギーを渡せばそのお返しがやって来る。

 

どのようにエネルギーを渡すのか?

 

人を勇気づけたり励ましたりする

人にお金を渡す、つまり何かを買う

人の代わりに仕事をする

人を感動させる

人に癒やしを与える

人を安心させる

 

つまり、人の役に立つ

 

そこを私たちはよく見失ってしまう。

 

いかに多く、効率的に、楽して稼ぐか

 

そんなことばかり、気になってしまう。

 

でも本質は、チガウ。

 

どれだけ人にエネルギーを与えたか、なのだ。

 

既存のお金の貰い方にこだわる必要はない。たとえ既存の枠の中にいたって、新しい工夫はできる。(新しい枠組みを作るのは、お金も労力も時間も要ることですし)

 

エネルギーを渡すのが上手な人が、やはり受け取り上手なのだろうな。

 

そんな人になろうと思う、コロナ禍の今日このごろです。

おみくじの結果は…

今日は仕事初めでございました。

また気持ちを新たに頑張ります。

 

こんなコロナ禍なのに、足を運んで下さったり、お電話して下さったり。

 

本当に、有り難い限りです。

 

さて、お昼に食べた菓子パンにおみくじがついておりまして、めくってみると…


f:id:natuyo24:20210104182006j:image

 

末吉。

 

以前の自分

大吉を期待したけど、末吉かぁ。あんまりついてなさそう…まぁいいや。

 

そういうつまらない思考回路はもうやめることにする。

 

改めまして…

 

こんなにツイてるのに、末吉なの!?大吉はどんだけいいんだろ!!ドキドキ、ワクワク。

 

こう考えると幸せです。

 

「無理してんじゃないの?」

 

当たり前です。筋トレだって、多少は無理して鍛えて体を大きくするんでしょ?それと一緒です。

 

私は、思考のトレーニング中なのです。

 

こういう思考を日頃習慣にできる人は、周波数が違ってくるんです。

 

それを、私は一生かけて証明してみたいのです。

 

では、また。

働かざる者食うべからず??

明けましておめでとうございます。

今年もよろしくお願い致します。


f:id:natuyo24:20210103140530j:image

 

今年も幸せに過ごせるように、

「幸せの周波数」に乗って参りたいと思います。

 

それは社会常識にとらわれていては決して掴めない波。

 

それは他人の言う事に従っていたら見逃してしまう波。

 

この波に乗り続けるのは、結構難しい。だって常識的じゃないし、周りのみんなは意識してないから。

 

だからブレずに、迷わず邁進していこうと思う。

 

これが私の2021年の抱負。

 

 

さて、新年は「働かざる者食うべからず」という言葉の新解釈から始めようと思います。

 

常識的な意味は、

自分はこんなに一生懸命働いてるから飯が食える。だから一生懸命働かない奴は食いっぱぐれる。

たいがい、これを言う人は、汗をかく努力をしない人を蔑むために使うのでしょうか。

 

でも、本当にそうでしょうか。

 

私が思うに、

「働いたあとは、ご飯が美味しい。だから働かないなら、ご飯は美味しくない。ゆえに働いてから食べた方がご飯は美味しくなるし、消化にも良い。」

この意味に尽きると思います。

 

「お前は働いてないから食う資格はない。」

そんな冷たい言葉は、もう使うの止めよう。

 

働いてない人だって、ご飯食べていい。それで元気になって、また人の役に立てばいい。

 

 

それに、

働いたあとに達成感や爽快感が無ければ駄目だと思う。

 

逃避ではなく、明日やってくる仕事を楽しみに晩酌ができなければ駄目だと思う。

 

働かざる者食うべからず

 

色んなことを考えさせてくれる言葉です。

さぁ仕事じゃ!


f:id:natuyo24:20210103140450j:image

決断の是非を問うよりも

決断した事が果たして正しかったのかどうか

後々まで悩んでしまうことがある。

時は戻らないのに。


そうなのだ、もう時間は戻らない。


時計の針は進み続ける。
私の人生も進み続ける。


ここで大切なのは、
その決断から出発して次どう行動して、いかにその決断を「ベスト」にしていくかなのである。

動き次第で、その決断を最善にもできるし、最悪にもできる。

決断の是非は、実は後付け。
その場で決まるものでは、ない。

ならば決断を下した時点にいつまでも居残る必要はない。

その決断を活かして、次の一歩を踏み出そうではないか!


f:id:natuyo24:20201226215623j:image

 

年の瀬でございます。皆さまくれぐれもご自愛くださいませ。そして穏やかな年末年始を。


f:id:natuyo24:20201226215351j:image