提供する側が楽しくなきゃ
私が常々言っている
「楽しくなきゃ止めればいい」は、
何も楽ばかり追求しろという意味だけではない。
それが提供される側を喜ばせるからである。
給料のためだけに義務のように仕方なくやってる先生の授業を誰が聞きたい?義務教育を義務のようにつまらなくしてるやつの話を誰が?
早く時間が過ぎることだけを切に願う店員の提供する商品を誰が買いたい?
子育て向いてないって分かってしまって、仕方なく付き合ってる親と、誰が一緒に時間を過ごしたい?
3つ目は、そんなこと言ったって!と反発を食らいそうであるが、本当に向いてないならできるだけ子どもと接する時間を減らすことは工夫次第で出来るのではないか。(ただ、子どもが親を求めてきて、オキシトシンが出ないケースも稀とは思うが。それに自分を知った上での計画性の問題もある。)
あなたより、その事に愛情持って取り組める人がいる。
ならば、その人に、機会を譲ろう。
譲ってあげたあなたは別に劣等感も罪悪感も感じる必要はない。
やりたいことを、やろう。周りのために。