Always-Be-Natural blog

自分の好きなもの、自分らしい生き方、naturalな自分をもっと。

宗教も哲学もファッションのように

宗教も哲学も、もっと選ぶ楽しみがあっていいと思う。

 

神様に怒られますかね?

 

思想も、冠婚葬祭のやり方も、

先祖代々ウチはこれだけ、とか思考停止してないで、今日着る服のように、住む場所のように、乗る車のように、自分に合った教えを選ぶ。これなら信じる側も、信じられる側も、納得なのだ。

 

第一、日本人は宗教意識が薄すぎる。それはもちろん良さでもあるのだが、自分が冠婚葬祭や、お墓とか、行事で何のためにお金や時間をかけているかの意識が薄すぎる。「…だって、親もやってたし」とか言ってなんにも知らない。いざ部外者、例えば海外からの友だちが来たとき、信仰についての問いかけに答えられないで、ぼーっとのんびり生きて、テレビの教養バラエティが提供する常識すぎる知識にほぅほぅと納得して、またすぐ忘れる笑

 

ちょっと自虐が過ぎましたね。でも、そういう国民性なんです。私を含め。あな素晴らし日本国。

 

これからの世の中、物質で得られる幸福感はそろそろ頭打ちしそうです。もうこれ以上ネットが速くなっても、これ以上快適なサービスができても、そんなに幸福感は上がらないのでは?

 

だからこそ、もっと幸福感を得たいと思うなら、精神性である。考え方、解釈の仕方を変えることで現実の見方がガラリと変わり、幸福感が増す。

 

保険の窓口ならぬ、思想の窓口。笑

 

ビジネスになりそう笑


f:id:natuyo24:20200116114421j:image