Always-Be-Natural blog

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「正義」という意識がそもそも問題?

幼い頃、正義の味方にたいそう憧れたものである。いや、幼い時だけでなく、今だって正義の側にいたい、善者でありたいと思うこともある。

 

しかし、

 

正義という概念は、自動的に「悪」を生み出し、結果として対立を生み出す。批判を呼ぶ。

 

本当は、正義も悪もないのでは、と最近思うのです。全ては心の持ちようで善にも悪にもなる。

 

じゃあ、人を殺めることは悪ではないのですか?と詰問されそうです。

 

それは、もちろん悲しい気持ちしか起こしませんから、いわゆる周波数を落としますから、嫌です。無くなってほしいです。

そのような例は少し極端かと。

 

私がここで申しておりますのは、例えば政治的対立で正義を謳うデモですとか、既得権益を相手取った怒りのスピーチですとか、そういった類であります。

 

グレタさんの、環境破壊に対する怒りのスピーチも、その一例です。もちろん、ああいう形で、ある立場の存在感をアピールし、相手に行動の修正を迫るのも一手だとは思うのです。

 

だが、それぞれに言い分がある。怒りをぶつけるだけでは不十分なんじゃないかなと思うのです。

 

悪側も上手に取り込んで、みんなで幸せになれないのか。それとも悪を憎しみ、徹底的に叩き潰さなければならないのか。

 

でも、過去の戦争は、そういう思考で起こったものではないのか。自国への愛国心と、それを侵そうとする他国の脅威への憎悪。

 

平和の祭典であるオリンピック、パラリンピックが開かれる今年2020において、私たちの意識改革は、どれほど進んでいるんだろうか。いや、そもそも変わる必要さえ、ないのだろうか?


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