拒否されること
こんにちは。
誰かに拒否されることはとても辛いことである。
しかし、それは同時に、自立を促される好機である。
長いこと自分のコンプレックスを受け入れてくれていると思っていた存在が、実はそうではなかったことが突然明らかになる。
その受容感、承認感がフッと消えた。
その存在のおかげで、どうにかコンプレックスに折り合いつけて、「これでいい」と思えていた、ささやかな自信の根本がそもそも存在しなかったのである。
辛い。
だが、こういう出来事が起こると、まだまだ私は自分の価値を他人からの承認で成り立たせていたことに気づく。それが例えすごく身近な存在でも、他人は他人である。
そして、他人から認めてもらうことで受け入れてきたコンプレックスにもそろそろ真剣に向き合いたいと思う。そもそもそれをコンプレックスと感じるこの自意識を。
全ての出来事から、学ぼうと思う。どこでも、いつでも、いくつになっても。
他人への「依存」を少しづつやめて、「共存」へ、そして独り立ち。
サラリーマンであること
「なんの取り柄もないから、サラリーマンやってるんだ」なんて言わないで欲しいです。
サラリーマンやるには、組織に馴染んで、人と協力する力が必要だから、サラリーマンやってる人は、すごい。
新しく会社立ち上げたり、異端な仕事を始めたりする人が、実は苦手と感じてるかもな事を、その人はやってるんだから。
どんな仕事だって、必要になるスキルがあるし、誇れる部分がある。
だから、そんな自己卑下しないでよ。
ある一握りの人しかできないような仕事や生活を、羨まないで。
時間や労力はかかれども、できないことは、ない。ただ、そのストレスに、責任に、コストに、その人が耐えられるか、だ。
仕方ない帰結じゃなく、
納得して選ぼう。
物事には必ずある二面性
都会的な隣人への「無関心さ」という消極性。
これは、裏を返すと
他人の成功、失敗に対する「寛容さ」という積極性になる。人は人、自分は自分ということでいい意味での他人との距離感。
田舎的な人間関係の「温かみ」という積極性。
これは、裏を返すと
他人への「干渉、妬み」という消極性になる。せまいコミュニティ、みんな一緒が居心地いい。
だから、その判断の短所ばかり気にして行動できなくなるのは勿体無い、なんだって良い面悪い面があるんだから。
コロナだってそう、ピンチでしんどいけどチャンスで捉えてる人だっていっぱい居る。「コロナ チャンス」でグーグル検索してみたら例は沢山出てくる。
外出自粛で客が来ないという消極性。
家時間を楽しめる、リモートのニーズの広がり、人々のテックリテラシーの高まりという積極性。
人によって見えてる世界は全く違う。
だったらもちろん楽しい方が、良くない?
嫌なら、ストレスからは逃れられると思う
皆様、こんにちは。
小豆島はさわやかな初夏を楽しんでおります。
畑が実り始めました。美味しいです。
島はせまいので、生活圏がギュッと集まっております。故に、ガソリン代もかかりません。これで、島外に出始めたら、それはそれでお金はかかってきそうですけど、島内で満足している以上、今までよりお金は浮きそうです。ラクチン。
ストレスフリー。
収入も減った分だけ、支出も減ったし。おかげ様で収入だって普通に暮らす分には全然悪くない。日々に満足してると、理不尽な欲も減りますし。
島内の人間関係だって、自分で程度を考えられるし。突飛な目につく行動を控えればいいし。(突飛な行動なんて、都会だって目立つわな(( ´∀` ))そんなの自分のコントロール次第。まぁ車乗ってたら一日に同じ人に何度も会うけどね笑 お互いにイェーイとかやってる笑
優しい人がいる。子どもと一緒に遊んでくれる友だちがいる。受け入れてくれる人がいる。自然に囲まれ、穏やかな毎日がある。
それだけで結構、幸福度は高い。
要は、どこに住もうと考え方次第。
幸せに暮らせる人は、幸せの種をどこでも見つけられる。
ストレスだって、そうだと思う。
私たちは心のどこかで「ストレス無しで、生きられる訳ない」って信じてる部分があって、ストレスから逃れたい、逃れたいと願いながらも結局はストレスを手放せないでいる。
「嫌な環境でも働かなくちゃ生活できない」
「我慢しなきゃ、生きていけない」
そんな風に考えている。
しかし、敢えて言いたい。
本当に受け取りたくないものは、いつだって手放せる。どんな境遇でも。こんな恵まれた日本なら特に。ただ少し、それを手放すのに、知恵やパラダイムシフトが必要なだけ。そして世間の人が言う、「勇気」が要るだけ。
そんなこと言える自分は、恵まれすぎているのでしょうか。
でも、そう思うことが、今絶望の中を生きる人の「希望」につながる気がしています。
思い上がりの文章でしたm(_ _)m
でも書きたいから、やっぱり書きました。一個人のブログだから、許されるはず。
ではまた〜。
アクセルを踏みすぎるからブレーキが要るのだ
小豆島から、皆さまこんにちは。
島も夏っぽくなってきました〜。しかし今のところは爽やかな風が吹いていて、快適な気がします。
さて、コロナの自粛ムードも手伝って、島でのスローライフを加速させている今日この頃のnatuyoでございます。
湖畔の様な瀬戸内海、悠然と佇む洞雲山を師と仰ぎながら心穏やかに日々を過ごしております。
[自宅から見える洞雲山]
さて、最近はいかに「マイナス」を出さずに日々を生きるかということを考えております。負の感情を伴うマイナス、です。
それは、
怒りや苛立ちといった感情のマイナスであったり、
カネや資源のマイナスであったり。
人間ですから、ある程度のマイナスは仕方ないとしても、過剰なマイナスを出さない為にどうすれば良いのか。
それは、過剰なプラスを作らないようにすることです。
過剰にアクセルを踏むから、スピードにあまりが出てブレーキ、つまりマイナスを踏む。
過剰に食べるから、ダイエット、つまりマイナスを余儀なくされる。
過剰に楽しもうとするから、多大な出費、つまりマイナスを要求される。
躁うつ状態の人はまさにこれで、アップダウンが激しすぎて、サガリのとき辛くなって崩れる。
振り幅が大きいということは、体にも心にも負担がかかる。
振り幅を小さく、ブレない生活こそ、持続可能な幸福体質なのだと思うのです。
ほどほどに。私は、もう既に満ち足りているのだから。そんなにガツガツ欲張らなくていいんだ。
穏やかに。プラマイゼロの私で過ごしたい。
そう考えると、
以前の私は相当乱れていたなぁと思います。
自然に囲まれ、そんなことを考えています。
今回も読んで頂きありがとうございました。
「やっぱり」より「なるほど」を増やしたい
会話中、
「やっぱり」
と
「なるほど」
は、共に相づちの常套句です。
「やっぱり」は、何だか自分の中で知っていた、もしくは立てていた予測について答え合わせをしている感じで、
「なるほど」は、自分の知らなかった新しい知識を得て、納得している感じです。
ナルホドはエネルギーを使います。相手の論理を消化して、自分の中に取り込むのですから。頭を使うわけです。
その点、ヤッパリは省エネで、しかも答えが合ってたという安心感がやって来ます。
考えるに、ヤッパリばかりの毎日では、人間ナマってしまい、澱んでしまうと思うのです。
最近は、テレビのクイズ番組だって、ヤッパリが強調されてる気がする。常識を問う問題ばかりで、新しい驚きが無いと思うのは私だけ?
日常においては、ナルホドを、ヤッパリより増やしていきたい。
それは、新情報をいつでもキャッチできる頭の柔らかさをキープしつつ、相手への理解や受容につながると思うのです。なるほど!と新鮮な驚きを伴いながら相手の言うことに耳を傾けながら意思の疎通を図る。
人は、自分の意見を受け入れてほしい生きものですから、みんなが聞き上手になれば、世の中もっとうまく回りそう。
皆様は、普段どのくらいナルホドを呟いておられるでしょうか?
では、また!
日光浴を楽しむオリーブ。
小豆島は、今日も穏やかな陽気と爽やかな風の一日です。