とりあえず、仲間に入れてもらうには。
「インプット8割、アウトプット2割」
そして、インプットもただ聞いてればいい訳じゃない。進んで取りに行く感じ、でもグイグイ具合は相手による。
こっちがやる気を見せようとして、沢山取り込もうとするのがかえって逆効果で相手を苛つかせてしまうこともある。うざったいわぁって。相手が知らないことまで踏み込んだら、それこそプライドを傷つけかねませんし。
あとは、違和感が拭えない場合、自分について「ぶっちゃけどうすかね、自分?」ということを相手に聞いてみることです。
相手はいろいろと思うところを仰ってくれると思います。そして、相手が上、自分が下というゆるい上下関係が生じます。すると、「意見したからには、面倒見なければ」という意識が大抵の場合相手に生じます。すると、それをきっかけにコミュニケーションが始まります。関係性が定まらないと、コミュニケーションって実に取りづらいものです。
それから、とにかく「分かりやすい自分」を見せて相手に安心してもらうこと。自分が今何をしているのか、何を思っているのか(社交レベル、ビジネスレベルで、です。勿論全てをさらけ出す必要はないです。)
何考えているか分からない人って、怖いし、取っ付きづらいし、ウワサ話のネタにしたくなってしまうものですしね。
あとは、価値観の相違ゆえの「壁」を作らないこと。あなたも正解だし、相手も正解なんだから。こっちの正義を説こうとすればするほどこじれる気がします。
そんなとこ、かな。と思います。
コロナも一段落。今日がいよいよ「新年度」の始まりではないでしょうか。
今回も読んで下さり、ありがとうございます。
キス釣ってたら、ヒトデが釣りた笑
何かを犠牲にして、何かを得る?
そんな思いで頑張ってるなら、
「やめてくれて、いいんですよ?」
って思ってしまう。
ニュースを観ておりましたら、
「たくさんのことを「犠牲」に、練習を頑張ってきた高校生にとってインターハイが無くなってしまうのは、あまりにも可哀想」
とMCが仰っておりました。
内容は共感できても、
言い方は古臭いな、と思いました。
「犠牲」
ということは、
何かをしたかったけど、欲しかったけど、
それを我慢して、苦労した感じ。
違いますよね?
何よりも、彼ら本人は「練習」したかったんだよね?
苦労してるように見えても、本人はその「練習」が一番やりたかったことだよね?
そうじゃなければ、一流の大会に出る資格なんか無いし、出場したって本人がつまらない。
何よりも、その競技をとことん楽しめることが一番の出場資格だと思う。
「(本当は他にやりたい事があるのに)やらされて、苦労して、頑張ってる」ような人を、大人は育ててはいけないと思うのです。
我慢の先には、大した成果は待ってない気がします。
それをいろんな形で楽しんで、時間を一番沢山かけた末に、大きな収穫があると思うのです。
島暮らしをしながら考えたこと。
傾向というか、印象をまとめておく。もちろん全ての場所や人に当てはまるとは思っていませんが。
まず基本的に人が少ないです。
よって、人の行列とか並ぶのが大嫌いな私向き。
また、人が居ないと寂しくなり、人との出会いがすごく嬉しくなる。つながりができると感動する。
また、過疎・高齢の背景もあり、「子どもがいてくれると明るくなって嬉しいよ」とか、「ずっと居てね」とか、そういう温かい声も、嬉しい。(もちろん、特にそう思わない人もいるだろうなんてことは、当然だろうけど。)
そして、小さいコミュニティなので、知人、生活圏、イベントなど同じことを沢山共有していると、自分のことよりも相手との共通話題に関心が高まるようだ。ここは人が多く集う都会とは違う特徴な気がする。都会の場合を考えてみれば、把握しようにもしきれないほど人がいるから、結果自分に焦点を持っていき、その自分に合う人や環境を求めていく気がする。そういう意味では、ここにいると、あんまり「自分は何者なんだろう」的なアイデンティティ問題は起こらなそうである。もうその「何者」かは家族が、地域が、仕事が、ある程度決めてくれる。
このままでいい、このままがいいと考える傾向も強い。「とりあえず新しいことやってみようぜ」は都会よりも受け入れられない気がする。価値観が合わなければ尚更だ。良く言えば伝統を守っており、悪く言えば旧態依然。この点については、今私自身学んでいる事が多い。「常に上昇志向を持ち、改善を図るべき」という思考が染み付いて、そういう環境じゃないと危機感や不満を持つ自分に気付く。でも、「現状維持」も大事だよな。「このまま」を維持しようとする気持ちは、SDGsにも通じるし。(もちろん、持続を困難にする悪習があるならば、変化は必要だろうが。)過度の「もっと、もっと」精神はかえって有害にもなり得る。今のこの現状で末永く楽しむことを覚えたい。
もちろん、面白いと思うことは、実行していきますが。
でも総じてね、
小豆島、面白いところです。
山に入れば故郷を思い出すような山道。
美味しい水汲めるし。
ちょっと行けば海だし。
色んな産業もあって面白いです。島の割に第一次から第三次までバランス良くあるし。
神懸焼(小豆島の焼き物。もっと窯元増えてくれればいいのにな。)
地場産業の一つの素麺(カドヤのごま油を練り込んでるのが特徴の一つ。美味です。)
生活圏も整ってるし。こないだ次男おでこに大ケガしたけど、日曜急患で診てもらえたし。これがもっと小さな島だったら、ドクターヘリですよ笑。いや笑えん。
これからコロナが収まってきたら、面白い人々にもっと会いに行こうと思う。
全ては、「知りたい」から
苦境に立たされたとき
嫌な人と付き合わなければならないとき
思い出して。
あなたは「知りたい」のだ。
苦しい現場とは、どんな場所なのか。そして、それを見て、自分は何を考え思うのか。
嫌いな人とは、どんな人なのか。そして、その人を前に、自分は何を考え思うのか。
本当に苦しかったら逃げちゃえばいい。被害が及びそうなら即刻避難じゃ。死んじゃったらゲームオーバーなんだから。(心でも、体でも)
でも、どうにか出来そうな感じや、対抗して張り合ってみたいという気概が、自分の中に少しでもあるなら、それを自分のためにやってあげるのだ。
返り討ちに遭うかもね笑
でも、自分のやりたかったことやってあげた、あなたはエライよ。
結局思うんだけど、
私たちは逃げても逃げても、自分が予め決めてきた宿題からは逃げられないのかな。
それだったら、今取り組み始めよう。
今までさんざん後回しにしてきた、その課題を。
立ち向かうことを。
自分に正直になることを。
そしたら、また違う景色が見えそうである。
ヤモリみぃーっけ。
民主主義は、国民に委ねること
言うまでもないが、国のコロナ対策に対しては色んな意見がある。
被害も出たし、亡くなった方については本当に残念だし、悔しい。
もっと早く、強く、手を打っていればのタラレバは尽きない。
が、
他国に比べると、日本は
国民に行動を「強制」するのではなく、
国民に望ましい行動を「期待」した。
ま、我が国の被害状況にもよるだろう、単に軽く考えてるだけかもしれない。
でも、この状況、かなり民主的じゃないか?だって一人ひとりに行動が委ねられているのだから。
は?バカ言ってんじゃないよ。
リーダーシップ不足?
生ぬるい?
中途半端?
優柔不断?
経済優先?
色んな見方があるけどさ。
これで、強いリーダーを求めすぎて、独裁を推しては、イケナイと思う。誰かに全面的に判断を委ねるってのは非常にキケンだ。
色んな原因があるが、結果的に、国民の意思に任せてもらってる形になってる。だから、一人ひとりがそれに応えなきゃいけないと思う。
Let us stay home.
妻が作ったシースー。旨し。
GWが始まりましたので
お久しぶりです。
新生活の中、記事をしばらくお休みしておりました。
たくさんのことをインプットしながらのアウトプットは、なかなか気分が乗りませんでした。
さぁ、暦の上ではGWが始まりましたが、実感としてはコロナ禍の影響であまり変化がありません。
変化と言えば仕事がお休みになったくらいで、
子ども普通に家に居るし、外出自粛で自分もお店とか必要がない限り行かないし遠出しないし、ここ小豆島も観光客らしき人は見かけなくなりました。
未だに私の地元ナンバーしょってる車に乗ってる私が一番観光客っぽい?
近況報告です。
畑を始めました。GW使って耕します。
近くに水道ないので、毎日家から水運び汗。
明日は、雨らしいから、水やり行かなくて大丈夫そう。タンクにも自動で水が溜まる。雨がこんなに有り難く感じるのは初めてだな。
釣りもしてます。
仕事帰りに釣り糸を垂らす幸せ。魚が、よくかかる、マズメっていう日の出と日没の前後一時間の時間帯と帰宅が重なるのでちょうどいい。
収入減っても、全然幸せだ笑
普段が幸せになると、支出を減らそう!って本気で思える。
まぁ、来たばかりでハネムーン期だからこれからも同じように感じるかは誰も分からないがな。
でも、仕事では課題が見え始めていて、適度に苦しい。場所が変わって職場が変わっても、人生の課題はやっぱりやって来るものだ。
では、また。
「ない」の呪い
「ない」
これが口癖になっている人は、はっきり言っていつまでも不幸だ。
しかし、なかなか本人は気づけないし、直せない。直す気もない。
「うちにはお金がない。」
「時給自足するしか、生きていけない。」
「お手伝いできない、お前はダメだ。」
「無駄な出費は、しないほうがいい。」
「無」に意識を向けさせ、豊かな方からは目を進んで目を背ける。
「ない」の呪いは、思ったより強力であると思う。
その内容が、例え真実であったとしても、言った本人、言われた周りのエネルギーの損失は計り知れない。
要は、ヤル気を削いでイライラばかりを引き起こす。
De-Motivatorの存在は、組織にとって由々しき問題であり、厄介である。警告を発しているつもりで、実は損失しか生んでいないのだから。
「貧しくても、生活できてる。」
「自給自足すれば、もっと豊かになる。」
「お手伝いできる君は、もっと素晴らしい。」
「そこで出費抑えれば、もっと趣味に使えるよ。」
言葉の些細な言い換えが、どれほど心を救うかなど、
信じない人には、一生分からない。きっと来来世くらいでやっと気づくんだろうなぁ。
でも
信じる人は、一生救われるのにな。
「ない」の呪い
のお話でした。