何かを犠牲にして、何かを得る?
そんな思いで頑張ってるなら、
「やめてくれて、いいんですよ?」
って思ってしまう。
ニュースを観ておりましたら、
「たくさんのことを「犠牲」に、練習を頑張ってきた高校生にとってインターハイが無くなってしまうのは、あまりにも可哀想」
とMCが仰っておりました。
内容は共感できても、
言い方は古臭いな、と思いました。
「犠牲」
ということは、
何かをしたかったけど、欲しかったけど、
それを我慢して、苦労した感じ。
違いますよね?
何よりも、彼ら本人は「練習」したかったんだよね?
苦労してるように見えても、本人はその「練習」が一番やりたかったことだよね?
そうじゃなければ、一流の大会に出る資格なんか無いし、出場したって本人がつまらない。
何よりも、その競技をとことん楽しめることが一番の出場資格だと思う。
「(本当は他にやりたい事があるのに)やらされて、苦労して、頑張ってる」ような人を、大人は育ててはいけないと思うのです。
我慢の先には、大した成果は待ってない気がします。
それをいろんな形で楽しんで、時間を一番沢山かけた末に、大きな収穫があると思うのです。