Everything I have is the best thing I've ever had.
急な出費も、
急なトラブルも、
全ては必然であり、最善だと信じる。
信念を立てると、それを揺るがす出来事が必ず起こる。
今日も、お金は躊躇なく喜んで払おうという信念を揺るがす、ちょっと大きな、想定外の出費があった。
喜んで払うのが難しかった。今もちょっと引きずっている笑
だ、け、ど、
もうエゴには従わないのだ。
これで気分を下げたら、今まで通り。罪悪感に苛まれて、元気を無くして泣き寝入り。
そんな過去にはオサラバ。
エゴくん、残念でした。
お金は天下の廻り物。
それに、今後につながる発見もあったし、喜んで払っちゃうんだから。
そうやって、信念が少しづつ、無意識の土壌に根を下ろすようになるんだろう。
親切は、ほどほどでいいと思う。
ここで言う「親切」とは、
接している人の波長に、自分を無理にでも合わせ、やさしくしようとすること
と定義しますので、親切一般にアンチを唱える記事ではございません。予めご了承ください。
波長。私がよく使う周波数という言葉や、テンポ、調子などと、ほぼ同義とお考えください。今日は波長って言葉がなんだかしっくり来たから使ってるだけです。いわゆるフィーリングです、ええ。
人の波長に合わせて、テンポについていくのって、すげー疲れます。でも、好かれたいから頑張っちゃうんですよね。職場の雑談、社内の会話、飲み会…。
なにか思いついても、(これは、相手にあんまり受けなそうだな)とか思って、引っ込めちゃったり。
無理して相手の機嫌を取ってみたり。
いや、気遣いは大事ですよ。でも、それがストレッサーになるようなら問題です。良好な関係が続きませんから。
私たち、本来は素のままで色んなことを楽しんでいいはずなんです。少しのマナーを守ってれば、個性全開で生きていていいんです。
受け入れてもらう努力も大事だけど、自分の個性を深く知ったり、自分を受け入れてくれる集団を探すことも大事。潔く新天地に赴く行動力も、大事ということ。
自分が本当に心からしたい親切をしましょう。
他人の不幸は蜜の味
英国王室のトラブルも、
東出さんの不倫騒動も、
すげー興味津々ですね。
私の生活圏とは、全く関係ないのに笑
まぁ芸能人はTVに出てますから、目にするCMやドラマのキャストに多少影響するでしょうがね。
何でも持ってる、揃ってるであろう人のスキャンダルは、本当に私たちの好奇心をくすぐってくれます。
やはり、この気持ちはセレブに対する羨望、嫉妬なのでしょうか。自分の生活しか興味のない人は、こんなニュース、目もくれないんでしょう。
セレブも、やはりセレブの前に人間なのだ、と思います。
不倫がいけないことなんて、百も承知。特に自分の立場からは許されないなんて、千も承知。
でもしてしまう。世間からは許されないけど、人間らしくていいんじゃん?って思います。
「じゃあ、そんな達観したような事ホザいてるけど、自分の妻に不倫されたら、あなたは怒るでしょう?」
怒るでしょうね。悲しむでしょうね笑
それも人間らしくて良いでしょう?
それでケンカして、破局するか仲直りするかして、また人間生活を営んでいくんです。
でも、一夫多妻制、一妻多夫制といった文化なら、評価は一変しますね笑
「いやー、東出くんも盛りだねぇ、忙しいのに。僕も見習おう。」
「今度は私が東出くんの心を射止めるわ!」
ルール次第で、世間というジャッジは変幻自在なのも、面白いです。
セレブのスキャンダルは、どんな恵まれた境遇でも、満たされない課題があることの証拠でもあります。
やはり絶対的な幸せは環境では決まらないという示唆を、私たちに与えてくれている。
そう考えると、誰かの真似をしての幸福じゃなくて、自分の立場からの幸福追求も大いに意味がありそうです。
ウケることより、大切なこと
人にウケることばかり考えていた。
でも、全然ダメだった。
なぜか??
自分が楽しんでいなかったからだ!
相手に合わせ、何が相手を喜ばせるのか、何が面白いのか。
そんなことばかり考えていた。
順序が逆なのだ。
自分が楽しんでから、周りが楽しむのだ。
言うまでもなく、周りのニーズを察知することは必要である。
でもそれだけではダメだ。自分が楽しんでないと。
アフィリエイトとかだってそうだ。
いくら工夫を凝らしても、自分が楽しんでないと人は寄って来ない。
だから、私の場合、アフィリエイトで何か宣伝するのとか早々に飽きちゃったから続かない。よって収入も生まれない。当然なのだ。
人は、ワクワクしている人に集まる。そしてお金を渡す。
だから、最初に楽しませるべきは、自分自身なのだ。
自分にふさわしい「ものさし」を。
ものさし。
もちろん比喩。
ちゃんと自分の価値を測れるものさしを持てているということは、幸福度を上げるために不可欠です。
他人に評価を委ねてる人は、辛い。それは自分のものさしで測られてないから。他人にとって、自分の大切にしてることはどうでも良くて、自分がどうでも良いと思うことが大切だったりする。だから疲れるし、評価してもらえない。他人は、私たちが思ってるほど同じじゃない。他人に振り回されないように、自分を大切に。
これが、自立できない人が病んでしまう理由です。
正確なものさしじゃないなって思った方は、
まず自分を見直してみてください。十分反省して、でもやっぱり違和感があったら、場所を、人を、仕事を変えるべきだと思います。
反省と葛藤と行動。
これが人生の内容だと思います。
自分の頑張りたいところで、頑張ろう。昨日の自分より、1センチでも大きくなろう。
三日坊主で何が悪いの?
合わないと思うなら、早々に変えていいよな。
その我慢して過ごす時間が、勿体無いよな。
そうやって、若者が仕事を転々としている現状を、大人は良く思いません。
でも、結局、仕事転々として、何も身についていない現実を受け止めるのは、紛れもなく本人なんだよな。
結局、苦しむのは本人なんだよな。
だから大人は、若者にお節介を焼くべきではない。あなたのためを思って、とか要らないから。好きにさせてあげよう。全ては自分に返ってくる。
すぐに辞められて、雇う方も大変だと思うかもしれない。
でもさ、そういう入れ替わりの激しい職種なら、誰でもできるようにしとけば代わりはいくらでも居るよな。あとは、最低でもこれだけは居て!とか契約に含めちゃえばいいんだよな。工夫はいくらでもできる。
使えないやつは、さっさと見切りをつけたほうがお互いのためだ。それぞれ、寿命は限られている。気持ちのいい時間を過ごすべきだ。
ドライと受け取られるかもだけど、尊重って考えると、優しい。
代わりは、いくらでも居るから大丈夫だ。
待ち遠しいのは、苦しいから
ご褒美がゴールにぶら下がっていて、それを目指そうとする時、そのご褒美と自分との距離の大きさを感じてウンザリすることがある。
ゴールを過剰に意識すると、過程が空虚になりがちだ。
だから、思考を変える。
例えば一年後に楽しいことが待ってるとする。
それを励みに途中を頑張れる人は、それでいい。ただ、途中はなるべく早く通り過ぎて、なるはやでゴールに行きたい、と思う人も多いはずだ。
じゃあ、そんな人は、どうやって途中を楽しめる?
それは、この一ヶ月、一週間、一日でしかできないことを見つけるのだ。そうすると、その期限まで猶予があるという思考になり、その期間を楽しめる。
「潰さなければならない」時間から、「残された貴重な」時間に変わる。
今日しか、できないことは何だろう。
この週しか、できないことは何だろう。
そう考えて、毎日を気分を上げながら過ごすことで、気づけばゴールに達しているのだろうと思う。