消費の罪悪感から抜け出せない人へ
まず「良いこと」の定義から考えてみましょう。
人のために、自分のエネルギーを使うことである。
重い荷物をもってあげる
席を譲って、自分は立つ
車で、アシが無い人を送ってあげる(もちろん、慣用句ですよ?)
これら全て「良いこと」でよろしいですか?
じゃあ、
お金という「エネルギー」を使うことも、もちろん「良いこと」であるはずです。
お金だって、自分で苦労して手に入れ、人を喜ばせられるエネルギーなのだから。
なのに、それを使い過ぎる人は、なぜか見下される。
一生懸命、人のためにエネルギーを割いているのに、である。
なぜ、へとへとになるまで労働した人はもてはやされ、無一文になるまでお金を使った人は、軽蔑される?
お金のムダ遣いとは、紙幣で火を灯したり、鼻をかんだり、紙飛行機を作り、どこかにやってしまったりすることである。
消費は、誰かの役に立ってるんですよ?あなたの抱くそんな誇大な罪悪感こそ、エネルギーのムダ遣いってものです。
これでまた一つ、お金にまつわる盲信から自由になれました★
他人は、参考程度に。
何とか成功者の栄光にあやかろうとして
人は成功者と
同じ服を着て、
同じ道具を使い、
同じ学校に通い、
同じ本を読み、
同じ教育法を子どもに押し付け、
同じ事を信じ、
…。
とにかく、権威と同じものを身に纏おうとするのだが、はっきり言ってナンセンスである。
同じ物事を使っても、成功する人はするし、しない人はしない。
成功者が選ぶ道具はあるが、
成功を約束する道具は、無いのである。
成功の法則は、あなたが決める。
誰の経験則も、あなたの絶対的成功則にはならない。参考程度にはなるけど、解にはならない。
誰かの話し方が、すごく決まっててカッコよいとする。あなたは慌てて真似しようとするけど、いざ自分でやってみるとうまく行かない。あなたという個人で輝く道具も、また周りとは違うんだな。
人の選ぶものに振り回されないでさ、
自分にjust fitなものを、今日も探していこうよ。
信じられるのは、自分の感覚だけだよ?
願えば願うほど
願えば願うほど、
実現していない自分を想像してしまってそれが具現化される。
ならば、もう自分はできるということにする。確実に実現するというゴールのもと、その実現に向けて準備する。
だって、実現したらそこからまた始まるのだ。どんなに渇望して、最高のゴールと思えた夢の実現にも、再び困難や課題がセットなのである。でも、ポジティブな人はそれらを全てチャンスと見てますけど。
叶えたいなら、そこをゴールにしてはならない。全て過程に過ぎない。もし、あなたのもっと遠い将来プランに、あなたの今願うことが必要ならば、それは叶う。別に叶わなくても、少しも絶望する必要はない。自分は気づいてないだけで、実はもっといいコースがあったまでなのだ。
目の前の結果に振り回されないように、心穏やかに参りましょう。
宗教も哲学もファッションのように
宗教も哲学も、もっと選ぶ楽しみがあっていいと思う。
神様に怒られますかね?
思想も、冠婚葬祭のやり方も、
先祖代々ウチはこれだけ、とか思考停止してないで、今日着る服のように、住む場所のように、乗る車のように、自分に合った教えを選ぶ。これなら信じる側も、信じられる側も、納得なのだ。
第一、日本人は宗教意識が薄すぎる。それはもちろん良さでもあるのだが、自分が冠婚葬祭や、お墓とか、行事で何のためにお金や時間をかけているかの意識が薄すぎる。「…だって、親もやってたし」とか言ってなんにも知らない。いざ部外者、例えば海外からの友だちが来たとき、信仰についての問いかけに答えられないで、ぼーっとのんびり生きて、テレビの教養バラエティが提供する常識すぎる知識にほぅほぅと納得して、またすぐ忘れる笑
ちょっと自虐が過ぎましたね。でも、そういう国民性なんです。私を含め。あな素晴らし日本国。
これからの世の中、物質で得られる幸福感はそろそろ頭打ちしそうです。もうこれ以上ネットが速くなっても、これ以上快適なサービスができても、そんなに幸福感は上がらないのでは?
だからこそ、もっと幸福感を得たいと思うなら、精神性である。考え方、解釈の仕方を変えることで現実の見方がガラリと変わり、幸福感が増す。
保険の窓口ならぬ、思想の窓口。笑
ビジネスになりそう笑
物事は全て捉え方
最近は結構元気が出てきたので、前のどん底期と今では何が違うのか、内省してみた。
やはり、「捉え方」なのである。
相手の「沈黙」について考えてみよう。
【以前の鬱状態の時】
「相手が黙っているのは、第一に、私の話がつまらないからだ。沈黙を作らないようにしなければ…。」
【今現在】
「相手が黙っているのは、集中しているからだ。しっかりとこちらの話しに耳を傾けてくれている。沈黙の時間も、大切じゃん。」
と、その場の沈黙を肯定的に捉えられるようになった。
結果、その方が元気も湧くし次はどんな面白い話をしようかとワクワクしてくる。
悲観論者は、確かに、正しく物事を観ていることもあるかも知れないが、大事なのは、次にどういうアクションを起こすかである。
どうせ…とか呟いてしまっている人は、行動するエネルギーが湧きません。いくら現状正しく観ていても、その課題にアタックできなければ、意味ないんです。
だから、私はどちらかと言えば、オプティミストでいたい。
オプティミストとは、物事の深刻さを見過ごす人ではなく、まだ何とかできる!と希望を捨てない人のことである。
そんな人で、あり続けたいと思う。
ビル・ゲイツもスタンフォード大の卒業式スピーチで、同学の楽観的雰囲気を褒めていた。こんな課題山積な世界に居ながらも、優秀な方々は、希望を持ち、毎日をワクワクしながら暮らしているらしい。
「好き、楽しい」が唯一の動機になる
儲かりそうだから
ニーズがありそうだから
みんな出来ないから
そんな理由だけでは、もう物事は長続きしない。
AI、デジタル、新素材…があなたの代わりを努めるからだ。
あなたが応えようとするニーズは、最新機器によって奪われる。そう、顧客を先取りされる感じ。
そこには、もはや抗えないと思う。
じゃあ、あなたの自己肯定感、自己有用感は?稼ぎは?どうやって満たされるのか?
唯一のモチベーションは、自分の中に見出すしか無い。
「自分がやりたいから」。これがたった一つの動機づけである。
いくら時代遅れと言われようと、
いくらアナログと揶揄されようと、
自分が楽しんでるから周りに振り回されず続けていける。
やはり人間は、楽しそうにしてる人やモノに惹きつけられますから、そこで人の縁や多少の稼ぎもありそうです。
だから、
今の時代必要になることは、没頭できる何かを探すことでしょうか。人からの評価とか、どうでもいいんですよ笑
マイナーな趣味を持たれていて、自信が持てない人は『マツコの知らない世界』でも視て、励まされたらいいと思います。オタクな方々、素晴らしいです。
人生は、あなたが怖がるものを見せてくる
怖がり、嫌い、避けようとするものにこそ、向き合う課題があるのであれば
やはり、私が見たくないものを、人生は見せてくるでしょう。
だからこそ、裏をかくのです。
見たくないものなど、無いということにすれば良いのです。
とにかく何事に際しても、前向きに捉える、考える、行動する。
そうすることで、目下の課題が無くなり、人生のボーナスステージに突入します。
ボーナスステージとは、
特に苦しいことはなく、ひたすら楽しく、豊かで、やり甲斐のある環境です。
人生は、パラレルワールド。
あなたの次の瞬間の行動で、次に起こる未来が変わってくる。
自分の過ごしたい未来を生きましょう。
振り回されるんじゃない、
私たちが、人生を振り回してやるんです。