同じような困難を繰り返したくない時は
それでも繰り返し困難に遭いたくない時
どうすればいいんでしょうか。
引き寄せが本当ならば、本当に望まないことはやってこないはずなのです。
でも、現実には、大変なことは起きる。
以前の記事でも書きましたが、大変で、私が避けたいと思ってることも、実は私が欲しいもののいわば材料になってる可能性もありますので、簡単には行きませんが。
https://always-be-natural.hateblo.jp/entry/2020/08/19/124650
やはり、その困難をちゃんと受け止められたら、クリアになって困難が去っていく気がしています。
どういうことか。
試み1:大変なことが起こらないように、先回りして回避しようとする。
→ダメです。その事態を避けようとしてますから。その事態への嫌悪感を拭わない限り、クリアになりません。
試み2:大変なことが起きても、無視したり、臭いものにフタをするように扱う。
→ダメです。結局向き合ってないですから。
その困難から、逃げずにどっぷり浸かって、苦しんで、でも何とか解決しようと前向きでいる。
その、嫌悪感と仲良くするというんでしょうか。うまく付き合えるようになると、困難は消えて行く気がします。その困難が消えるようなことも起きるでしょうし、そもそも私がその困難と仲良くなって苦痛に感じなくなるかもしれない。
私が避けていたものの、価値やら良さが分かるようになるかもしれない。結果、大丈夫なんだと安心できるようになるかもしれない。
色んなケースがありますから、一概に法則づけは難しいでしょうが、そういう心構えで私は生きていこうと思います。
吉田ダムから海を見下ろす。
困難に遭遇したときは
やはり前向きに捉えたいと思います。
その困難は、
然るべきタイミングで私にやって来たということ。
その困難に向き合うことで、自分の中で凝り固まった思い込みや疑念、不安を消化して、大丈夫だと思えるようになること。
何より、自分自身が実は本心ではその困難から逃げずに向き合いたいと思っているということ。
そう思うことにします。
きっと、そういうことなんだと思う。
台風時には、小豆島の入り江は避難所になります。
「足りない」から「富」は生まれる
「不足」があるからこそ、
誰かに補ってもらいながら、
自分ができることを代わりに提供する
という流れが生まれる。
そして、人の交わるところに「富」が生まれる。
だって、お金は一人で持ってたって意味ない物ですもの。貯金はどうなの、って人、結局いずれ誰かにそれを払って何かを得ようとしてるんでしょ?それは、交流ですよ。
墓場まで一緒にお金を持っていきたいと思ってる人は結構レアじゃないでしょうか。
話をもとに戻すと。
だから、足りないことから、「富」は始まると思うんです。
だから、足りないことを、後ろめたく感じなくていいと思うんです。
それを埋めてもらう代わりに、私ができることがあると思うんです。
ここ小豆島も、
雨少ないし、急勾配な土地多いしで、
米穀の類は育たないんです。
(それ故に、中山の棚田とか、稀少価値があるんでしょうけどね。見た目も素敵だし。)
だから、穀物を他からもらう代わりに、自分たちが作った塩だの、醤油だの、素麺だのを送っていたという歴史があります。
そうして、モノや人が行き交うようになり、経済が回って、離島としては比較的規模の大きい社会が生まれたようです。(それでも、過疎化、高齢化は待ったなし、みたいですが。)
「足りない」から始まった、好モデルだと思います。
できない
たらない
ない
こういったことを、必ずしも消極的に捉える必要はなさそうです。
中山の千枚田です。気になった方は検索してみてくださいな。
そう結論を急ぐな。周りは振り回される。
すぐにケリをつけたい問題も、
とりあえず寝かすというか、落ち着かせる時間は少し取った方が良い。
2日も3日も寝かせる必要はない。お昼をまたぐまで、とか、夕方まで、でよい。
結論を急ぐと、その直後、状況が変わり、また別の結論が出る。
この気まぐれに付き合わされる周りは、迷惑千万。
善は急げ、とは言うが、あまりにも待てないのもトラブルのもとになる。
今日は自分の悪いクセが見えたから、もうこんな類で他人を傷つけないようにする。
何かを言い出したら、責任もセットで相手には伝わるんだから。
私たちが本当に欲しいもの(多分)
私たちが本当に欲しいもの。
幸せ?
安定?
平穏?
だから、目の前の惨事が起こるとウンザリする。
でも、違うのだ。
こんなに幸せを望んでるのに。
こんなに平穏無事を祈ってるのに。
なんで、って。
何が無意識レベルで信じるだ、
何が引き寄せだ、
そう怒りが募ってくるでしょう。
でも、違うのだ。
たぶん、
私たちが本当に望んでるものは、
「心が動くこと」
なんだと思う。
つまり、マイナスがプラスに改善したときの、
あの安堵
あの興奮
あの歓喜
あれが本当に欲しいものなんじゃないかと思う。
そのために、マイナスに見えることが初め起こるのは当然と言えば当然。
大きな幸せを望んでる人ほど、差を生まなくちゃいけないから、底の値は下がる可能性がある。
そう思ってると、
目の前に起きた、テンションガタ下がりのあんな事もこんな事も、ポジティブに受け取れそうだ。
別れの時があるから出会いが嬉しい。
喧嘩の時があるから仲直りが嬉しい。
赤字の時があるから、黒字になったら嬉しい。
そういうことなんだと思う。
素晴らしい人生だから
終戦記念日だ。
今の、私達は彼らに比べたら、なんと自由で、なんと平和で。
こんな日だから、今を生きる私たちの人生について考える。
素晴らしい人生だから、
自分を愛する勇気を持とう。
新しいドアたたいて、
一つ一つ歩いて行こう。
素晴らしい人生なのさ。
きみもぼくもすべての人も
喜びと悲しみの意味 探し続けて
So just on my way
『Wonderful Life』by 酒井ミキオ
山あり谷ありだろうけどさ、
この世に生まれてきただけで
丸儲けなわけ。
それだったら楽しんだもの勝ちだよね。
楽しむ、はね、
谷の後に、山頂の景色を眺めるのも含まれるの。
何が言いたいかっていうとね、
厳しさや辛さを味わうことも「楽しむ」に含まれるの。
もうホントにストレスで、
やめたい!って思ってることは回避してもいいが、
自分が頑張ろう!と思うことには
挑んだ方が、「楽しい」よ。
死んじゃったらさ、
この達成感も喜びも、
有難みが無くなっちゃうんだからさ。(なんでも叶っちゃうだろうからさ笑)
もっと面白いこと、面白い人、この指とまれーーーー!!!!
彼らの分まで、幸せになってやるのだ。
人生を謳歌してやるのだ。
ありがとう。
withコロナの時代は
最近は、商いの勉強まっしぐらです。
人のニーズを掴んだり、行動パターンを研究したりするのは面白いものです。(@_@)
このwithコロナの世界において、商品を買って頂くため、どんなニーズがあるんだろうと考えるわけです。
そのヒントになりそうな、人々の思考をまとめておきたいと思います。
・自粛警察ににらまれたくない。
・自粛を理由にして、全て家で済ませたい。
空気を読み、和を重んじる我々日本人にとって、この2つが特に大きいんかな、と思います。
外出する際は、他人に許されるかどうかが大事になってくるでしょう。だから、お店や行楽地などは、「行かなきゃならないのだ!」という、外出の正当性をお客様に感じさせなければ今後は厳しいでしょう。
だって、
わざわざ直接行かなくたって、
通販あるし、
ビデオ通話あるし、
チャットあるし。
「わざわざ行く必要ある?」
こう咎められることが、恐れや、面倒につながっていくのでしょう。
どうしてもの理由としては、
・生きるため
・家族のため
・仕事のため
このくらいでしょう。ワクチンが出回るなど、人が、ウィルスを怖がらなくなるまでは続くでしょう。
さて、この第一関門を突破した方々は、次のフィルターにかけられます。
「その場所は、コロナ対策をしているところか。」
ここでアウトだと、もし行ってしまった方が罹患した場合、その方の言い訳が立ちません。
「え?だって、あの店感染症対策ちゃんとしとったよ?」
と言えるかどうかがカギになります。
ここまで来たら、お客さんに来て頂ける「かもしれません」。
「外出を控えることが、誰かを救うことになる。」
そりゃそうです。まさに正論です。いかにも私達らしい言い方で笑
こんなご時世だからこそ、今私にできることを一生懸命やっていこうと思います。