一鼓動の奇跡
今日は、なんだか家でじっとしていた。
コロナ、槇原、杏樹・・・今日もニュースは忙しい。
槇原氏の事件について、彼の作品に罪はあるのかの議論は奥深い。芸術と道徳の衝突が垣間見えた。
コタツでごろごろしながら、ぼーっとしていると、ふと微かな自分の鼓動が聞こえてきた。
こんなに主人はだらけているのに、心臓は今日も静かに、しかし確かに脈を打ち、私の生命活動を支えている。
この、意識もしないで動き続ける心臓は、よくよく考えると「奇跡」のように思えてくる。
そもそもなぜ動かそうとしていないのに、こいつは動いているのだ。
次の瞬間、体の回路が異常をきたしその鼓動が気まぐれに止まったとしても、まったく不思議ではない。しかし、私たちの心臓は次の瞬間も動き続け、ついには明日の朝を迎えるのだ。「あぁ、また月曜の朝だ」とため息まじりに呟きながら。
一瞬一瞬奇跡を重ね、私たちは生きているということをよく忘れてしまう。
そして、当たり前の奇跡を見過ごし、私たちはそれ以上の奇跡を待ちながら未来に想いを馳せる。これはなんと勿体ないことか。
もうすでに、奇跡は起こっているのだ。私は、「今生きている」という奇跡を目の当たりにしている。
生きているだけで百点満点、などというセリフを聞くと世の中そんなに甘くないと悪態をつきたくなる。しかし、その事は紛れもない事実である。
生きていることに心からの有り難みを感じられると、悩みも減りそうだ。生きづらい思いをしている人は、鼓動の奇跡をじっくり考えてみたらいい。
戦時中、必死に生きていた人は、きっとこの奇跡を感じ、生存の喜びをかみしめていたに違いない。こんな平和ボケしそうな現代に生きる私たちも、今日も勝手に動く心臓に想いを馳せることで、命の尊さを感じられるかもしれない。
今日も読んで下さり、ありがとうございます。
良い一週間を、お過ごしください。あなたに、大きな幸ありますように。