全ては、自分の責任ということの本当の意味
「全ては自分の責任」
この言葉を私は長いこと「戒め」の意味で心に留めてきた。
上司のせい、家族のせい、先生のせいにしてはならないんだと。
しかしこのところ思うのは、
責任を負うということは、ネガティブなことでは全然無くて、
実は「自分で未来を変えられる」というすごくポジティブなことなのかと思ってきた。
然るべき知識と利他心と意志を持てたならば、
どんどん追うべきじゃないでしょうか、責任。そして、自分の明日は自分で作るのです。
もちろん、誰かにどっぷり寄りかかるという選択だってアリですよ。
小豆島は寒くなってきました!
当たって砕けろ、だよ
そもそもこの人生、楽をしに来てるんじゃないんだ。
困難をいかに乗り越えるか、
そこを楽しみに来てるんだ。
だから、キホン、
当たって砕けろ精神で良いと思うんだ。
苦手な人にどうアプローチするか、
忙しい業務をどうマネジメントするか、
万策を尽くさずして、
この人生終われますかってんだ。
もし、やるだけやって万策尽きたら、
ドロップアウトだって一案である。
その局面においては、今度は潔く諦めることができるかが問われているかもしれないから。
解決もアリ。
逃げもアリ。
行動しないで、相手や状況の変容を待つだけではやっぱりストレス。
だから、ぐるぐる考え込んでしまうなら、とにかく何か動きましょう。
ネガポジ中和
無理にネガティブをポジティブに変えるんじゃなくて、
そもそもプラスでもマイナスでもない(あるいはプラスでもありマイナスでもある)という、
物事は常に「ゼロ」であるということを、つい忘れてしまう。
好き!や嫌い!
が極端に出てきて辛いときは、
「ネガポジ中和」作業を行わなくてはならない。
そうやって心を落ち着かせるのだ。
コロナはさ、
そりゃもちろん亡くなった方や苦しんでいる方もいるから、悲しいし紛れもない「悪」であるのだが。
少し想像すれば、
コロナが生まれたことで自分の価値が高まって、人の役に立つ術を見つけ、生きる活路を見出した人もいるでしょう。でも「コロナ様様」なんて口が裂けても絶対言えませんけどね。
だから、コロナもゼロなの。
でも感染拡大防止にはもちろん努めたほうがいいけどね。
極力、ノージャッジで物事を平たく見ていこうと思うのでした。
分かって良かったな
ある程度生活がスローになって
自分を、そして周りを冷静に見つめられるようになって
改めて気づくのは
「やっぱ、自分の気分次第で周りに起こることは変わる」
ということだ。
良い気分でいると、
やはり同じように気分が良い人が集まるし、
やはり気分が上がるような出来事が起こるのだ。
これを、今まで不思議なくらい信じてなかった。というか信じられなかった。そんなうまい話があるかって。
そして、自分の気分をどうやってマネジメントするかを放棄して、只々起こり来るネガティブな出来事におびえていた。
違うのだ。
いかに自分のご機嫌を損ねないようにするか。
地獄のような日々でも、いかにご機嫌で居られるか。
状況に振り回されることなく、
そこにちゃんとフォーカスできれば、
現実は、控えめに言っても自分の周りは変わる!
今この瞬間も無数に存在する、パラレルワールドの一つに辿り着く。
そこは、自分の周波数に合ったものがこちらに届くだけなのだ。
あー分かってスッキリしたな!
どんなときも、気落ちしないように穏やかに過ごそうと思う。瀬戸内海のように。
同じような困難を繰り返したくない時は
それでも繰り返し困難に遭いたくない時
どうすればいいんでしょうか。
引き寄せが本当ならば、本当に望まないことはやってこないはずなのです。
でも、現実には、大変なことは起きる。
以前の記事でも書きましたが、大変で、私が避けたいと思ってることも、実は私が欲しいもののいわば材料になってる可能性もありますので、簡単には行きませんが。
https://always-be-natural.hateblo.jp/entry/2020/08/19/124650
やはり、その困難をちゃんと受け止められたら、クリアになって困難が去っていく気がしています。
どういうことか。
試み1:大変なことが起こらないように、先回りして回避しようとする。
→ダメです。その事態を避けようとしてますから。その事態への嫌悪感を拭わない限り、クリアになりません。
試み2:大変なことが起きても、無視したり、臭いものにフタをするように扱う。
→ダメです。結局向き合ってないですから。
その困難から、逃げずにどっぷり浸かって、苦しんで、でも何とか解決しようと前向きでいる。
その、嫌悪感と仲良くするというんでしょうか。うまく付き合えるようになると、困難は消えて行く気がします。その困難が消えるようなことも起きるでしょうし、そもそも私がその困難と仲良くなって苦痛に感じなくなるかもしれない。
私が避けていたものの、価値やら良さが分かるようになるかもしれない。結果、大丈夫なんだと安心できるようになるかもしれない。
色んなケースがありますから、一概に法則づけは難しいでしょうが、そういう心構えで私は生きていこうと思います。
吉田ダムから海を見下ろす。