皆に好かれる必要は、無い
人から嫌われたくない
私を長らく縛ってきた呪い。
その一心で、オーバーヒートして、
気づけば八方美人みたくなっていた。
しかし冷静に考えてみると、みんなにおべっか使う必要なんてさらさらないのである。
商売だって、そうだ。
日々の生活の生計を立て、少しばかりの蓄えを作れれば、それでいいのだ。必要以上に買ってもらう必要はない。一定数の顧客を満足させ、自分も本当に自分が作りたい商品を提供する。
しかし、もっともっと儲かりたいという欲求に駆られると、次第にバランスを失い、面白くないサービスが生まれる。
みんなにいいというのは、はっきり言って面白みが無い。ユニバーサルを否定する訳ではない。ユニバーサルが必要とされるところに面白さは別に要らない。
みんな好みはバラバラだから、どこも伸ばそうとすると、結局中途半端になって個性を失う。どんな世界でも、通に愛されるのはイビツな物たちである。
人間関係も、ビジネスも、ブログも、万人受けしようとすることは疲れるし、面白くない。ならば、最低限必要なお付き合いを維持しながら、自分のオリジナリティを追究した方がストレスフリーで楽しめそうだ。
あなたが悩んでる、その関係は、本当にあなたにとって必要なのだろうか?
自己流「引き寄せの法則」
7年前、The SecretのDVDを見てから、引き寄せの法則に興味を持った。
とにかく、自分の好きな、楽で、心休まる物事を引き寄せたかった。でもなかなかすぐにやってこないんだなこれが笑
色んなメソッドがあって、真面目に取り組んでみようとしたこともあった。でもやっぱり続かないし。
高額な教材みたいのは、失敗したら損だし…。
あれから7年…
今なら自分なりに引き寄せの法則を説明できると思うので、自分流解釈をここに記録しておくことにする。
まず、私たちが今すぐ欲しい!と思ってるものは、実は、無意識では手に入る訳ないという前提で考えてる物事だから、やはり手に入らない。
物質現実は、自分の作る幻想。
羨望だけでは、かえって手から離れる。
手に入れたくば、それと周波数を合わせるしかない。
どうするか?
それのことしか考えない。
それと同じ環境に身を置く。
それと同じことをする。
それに時間、お金、愛といったエネルギーを注ぐ。
などなど、とにかく周波数を合わせると、向こうから自ずとやってくるし、こちらからも近づく機会がやってくる。
私を今現在取り巻いている森羅万象、人間関係、細々とした物質の一つ一つまで、私と波長が合うものに囲まれている。もしくは、何かを私たちに気づかせようとして存在しているものである。
望むものを近くに置きたいなら、一心不乱にそれと同じ空気を吸い込もうとすることだ。
その途中で、
やっぱり違うかも?って思って挫折しない限り、実現に近づくような気がする。
運命の人に出会いたいなら、
そもそも自己否定やめて、自分の価値を認められているか?パートナーがいる状況を具体的にイメージし、思いつく限りの行動を実行に移せているか?自分の仕事とか境遇を、できない言い訳にせずにできているか?
志望校に受かりたいなら、
その大学のキャンパスで当たり前に勉強する自分を具体的にイメージできているか?そのためには、そのキャンパスの波長と同調しなければならない。その波長に合うだけの知識と好奇心と野心を、あなたは持っているか?
企業に採用されたいなら、
そこで同僚と一緒に働く自分を具体的にイメージできるか?ワクワクできるか?その会社の宣伝に、建前抜きに全力を捧げられるか?エネルギー注げる意欲はあるか?
その質問にためらわずイエスと答えられるなら、あなたの引き寄せはだいぶうまくいってるんじゃないですか。
もし心のどこかで、ためらいがあるのなら、必ずしも今目指しているものはあなたにとってのベストでは無いかもしれない。ベストではないという決断も、なかなか勇気が要ることであるが、本音で生きるうえでは欠かすことができない。
今この瞬間、この環境、この感情、この想いに必然を感じ、次の人生を選び取るのだ。
この人生というスクリーンに、あなたは何を写す?
だから、周りのせいにしたらアカンて
職場、サークル、学校…
人集まるところに愚痴あり。
愚痴自体は良いものでも悪いものでも無い。ただその愚痴った後に不快感、停滞感が残るようなら、その愚痴は失敗だ。あなたはまんまと、その愚痴った相手と周波数を合わせてしまったことになる。
どんなにそのグチが正論らしく聞こえても、所詮は同レベ。
「ラーメンの味は、やっぱ醤油っしょ!」
「いやいや、味噌しか俺は認めないよ!」
くらいどうでもいい不毛さ笑
どっちでも、結局地球は無事に回るのだ。
どうせなら、
「じゃあ今度こうやってアイツに言ってみようかな!」
とか
「こういうやり方で俺が助けてあげようかな」
とか
次回へのポジティブな対応策で締めくくられると良い。
そもそも、だ。
周り=自分 なのだ。
自分に解決できてないところがあるから、周りが、悪者になってそこを具現化する。
「そんなに私を怒らせないでよ!」
いやいや、勝手に怒ってるの、あんたでしょ?別にそこ、スルーでも致命傷にはならないです。あなたが話を大きく厄介にしてるんです笑
「なんで、こんな使えないヤツばっかなの!?」
いやいや、その、あなた目線で言うクズしかいない場所にいつまでも居残ってるのは、紛れもない「あなた」ですよ?ラーメンが食べたいあなたは、マックにいてはいけないのだ。
でも、人間って、自分より下を作りたいですよね。そうすると、安心ですもんね。でも下を得ることで掴める安心を求めてるうちは、なかなか悩みも尽きなそうです。
大人の階段は、人を見下すためにあるんじゃないんだ。
もっと、広い視野を得るために、あるんだ。
記事に★付けてくださる皆々様、本当にありがとうございます。感謝致します。励みになります!
提供する側が楽しくなきゃ
私が常々言っている
「楽しくなきゃ止めればいい」は、
何も楽ばかり追求しろという意味だけではない。
それが提供される側を喜ばせるからである。
給料のためだけに義務のように仕方なくやってる先生の授業を誰が聞きたい?義務教育を義務のようにつまらなくしてるやつの話を誰が?
早く時間が過ぎることだけを切に願う店員の提供する商品を誰が買いたい?
子育て向いてないって分かってしまって、仕方なく付き合ってる親と、誰が一緒に時間を過ごしたい?
3つ目は、そんなこと言ったって!と反発を食らいそうであるが、本当に向いてないならできるだけ子どもと接する時間を減らすことは工夫次第で出来るのではないか。(ただ、子どもが親を求めてきて、オキシトシンが出ないケースも稀とは思うが。それに自分を知った上での計画性の問題もある。)
あなたより、その事に愛情持って取り組める人がいる。
ならば、その人に、機会を譲ろう。
譲ってあげたあなたは別に劣等感も罪悪感も感じる必要はない。
やりたいことを、やろう。周りのために。
自分に原因があるが、自分のせいではない
この矛盾したタイトル
どういうことかと申しますと
ある事がなかなか上手く行かないで悩んでるとします。
それは、
あなたのキャパ、資質に遂行上の問題がある訳でできないわけであるが、
あなたのキャパ、資質は別にあなたが悪いわけではない。
もともと持ってるものがある。
直そうとしても直せない習慣がある。根性だって、人それぞれだ。
私は、持って生まれたこの肉体、性格を人生のレンタカーに例えるのが好きであるのだが、
トラックが小道を抜けるのに不便だったり、
小型車が大荷物を牽引するのに非効率だったり、
そういった性質を責めても仕方がないのである。
みんな必死に自分の車を改造しようと躍起になっている。
改造することこそが、生きる意味みたく思っている。
なんか、違うんじゃないか。
それぞれの頑張りどころが、あっていいんじゃないか。みんなでおんなじように頑張らなくても。
でもね、
トラックが小道チャレンジしてみたり、
小型車が大荷物チャレンジしてみたり、
やりたかったら全然OKですよね。でもそれなりのハンデがあることを覚悟しなくちゃいけない。故に、グチも出ないはずです。あなたは苦手にチャレンジして克服しようとしてるんだから上手く行かなくて当然です。
光と闇
夜道を運転しながら考えたこと。
人は光ばかりを望むけれど、闇の無空、静寂も不可欠である。
夜空に瞬く星々は
昼は輝けないどころか、存在さえ認識されない。それが活躍するには闇の暗がりが必要である。
人間だって
闇の中で、休息し心身を整えることで次への活力が湧く。
闇を光に変えることで生き甲斐を得る。
全てはバランス。全ては必要。
正もあり、負もあり。